風の谷にあこがれて
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バイアスのかかり方。
2005年 06月 06日 *
(・3・)エエー。会話の中に英語使う人は嫌いだYO!!


就職活動も終わり、会社説明会などを振り返ってみると
やけに英語を会話の中につかうやつが多かったな~と思います。


ボルジョアもとい、馬鹿です。
こんにちは。


会話の中に英語を使うやつは、一杯います。
それはそれで、別にいいんですけど。

日本語で訳せる内容を、
いちいち英語にするやつはダメです。

日本語の中に英語を突っ込むのは
中央線で帰宅途中のアメリカンスクール女子高生か。

英語の意味じゃないと、正確な意味が通じない時だけにしてほしいものです。



日本語の中に英語を突っ込むヤツとして
私適ランキング1位は、立花隆です。


立花隆の書く本は、「自称:首突っ込み王」に恥じぬ
内容の豊富さですきなのですが。

彼が東大で行う講義とかを聴くと
本気で殺したくなります。



何がダメって。



「かつぜつ」が悪すぎです!!





耳をすませば(ジブリ)のお父さんの台詞だけ
10回聞いても判読できない、オーディエンスの苦痛を知ってくれ!!


西武の東尾監督が、監督を辞めてプロ野球解説者になった時
自分のかつぜつの悪さを直す為に、スクールに通って
発声練習をしていたらしいが。。。。

立花隆にも、是非してもらいたい。


いや・・・・・・個人的に、発声練習している立花隆の姿を想像して
ププ・・・・・・なんて、魂胆は決してないですから





さて、ネットはいかいしていると、立花隆のコラムを見つけ読んでいたのですが。
こんな文章がありました。



なぜ手痛い失敗が必要なのかというと、人間は本性上、このような判断において簡単に「思い込みによる誤り」を犯しがちだからである。人間は何かが「そうであってほしい」と思っているときは、そうである側に有利な証拠を無意識のうちに優先的に集め、その証拠価値の評価にあたっても、自分の願望に有利な方向にバイアスをかけて判断するのである。自分ではあくまで客観的に公正に判断したつもりでも、無意識のうちに、自己に有利に資する主観的判断を下しているものである。


参考記事:立花隆のメディアソシオプロティクス



これを読んだとき、ふと頭に思い浮かんだのは
1ヶ月ほど前にあった、中国や韓国のデモでした。

もちろん、中国や韓国の歴史教育が少しおかしいとかね
そういう話題は抜きにして。
(俺にはわからん、まー、違った視点で考えると、こうあってほしいという国のバイアスが、明確に現れているのが歴史教育の差異とも、取れるが)


あのデモでは、「おもしろいから」とかわけのわからん理論を振りかざし
笑顔で参加している人間もいたのだけど。

ネットから始まった講義デモにおいて、その情報を捕らえた人間が
自分に(国に)優位なバイアスをかけたんだと、思います。

しかし、サッカーにしても、デモにしても
冷静な意見も、多々ありました。

その温度差(同じ歴史教育を受けてるのに)が、物凄く違和感あったのですが。


バイアスを修正することのできる簡単な方法が、学問なのかな?
と、立花隆の文章を読んで思いました。

もちろん、学問の修正するバイアスは、歴史、社会に対する
オーディエンス、情報選択者の目線のことになるのですが。

情報を得た時の、バイアスのかけ方の違いが、
温度差になったのでは????
と・・・。一人で納得してしまいました。
(中国での教育事情とかを、知っていると、納得できるはず・・・)
(でも、面倒だから、解説なし。。)
(ポイントは、PC所持、受験、デモ参加者層って所か?)





まー、小難しい話は苦手なので・・・・・・・。
このバイアスのかかる方向というものを、日々の生活に当ててみると


日常において、選択を迫られることは多々あります。

むしろ、選択数の差異が、アイデンティティに大きく作用しているとも思いますし。
選択してきた数の量が、人の深さになるとも思います。


その中で、僕たちがかけるバイアスの方向性が、
どんなに客観性を持っていたとしても、その向きが自分本位である限り


僕たちにとっての、選択とは誰の為のものなのだろう


「・・・・そりゃー、自分本位のバイアスがかかるんだから、自分の為だろ?」


とか、言っちゃダメですよ。


僕の考える「選択」の中身は、他人をも含む中での選択です。


こと、恋愛に関して言えば。
相手の為を思って選択することや
相手を含めて考える選択が、多いはず

他者がいる中での、自分本位のみで行われる選択は、
中学生の恋愛です。


人の痛みがわからない人は、それでもいいかもしれませんし
私私私の人も、それでかまわないと思うのですが。



それなりの大人になって行う

「価値判断」や、「選択基準」は

相手を思っての判断になるはずです。



しかし、その方向にバイアスがかかっているとするならば。

僕の選択したバイアスの方向性は、やはり、自分本位のバイアスであったのか・・・。


立花隆の言うところの、修羅場をくぐるというものも。
マスメディアの中では、その記事が評価されたか、記事のクオリティーなど
第三者の介入によって、自分のバイアスの方向性を知ることはできます。


しかし、普段の生活や、恋愛などにおいては
それ自体が、ある固まった周囲(もしくは、二人の中で)完結する世界なので
自分のバイアスの方向性を知ることが、難しい。


ということは、自分の選択しているバイアスの方向性は

相手をいかに思っても、自分本位のバイアスなのか???





うーん。。。

考えることは、つきません。



何を言っているのか、理解できる人もいないでしょうwwww
(本当・・・文章構成能力ないよな~、俺)


ただ、思ったんです。



正しいバイアスを判断する
その判断にも、バイアスがかかっているならば

僕たちにとっての、正しい選択とはなんなんだろう・・・・と。




(わけのわからぬ文章を放置して、更新終わりですww)
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by mutuky | 2005-06-06 14:01 | net